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【人生を"ゴール"へ自操させるコーチング】

苫米地式コーチング認定コーチ齋藤慎治のコーチングブログです。コーチングに関することからコーチな日々を綴っています。

タグ:アスリート

前回の続きです。

この記事をはじめから読むにはこちら【ゴール設定】イチロー/ケリー・スレーター方式とマイケル・フェルプス、カノア五十嵐方式①


ケリー・スレーター



2003年発行(2008年日本語翻訳出版)のケリースレーター自身の自叙伝『PIPE DREAMS』からです。2003年以降の第二次黄金期に関しては、翻訳者であり、日本人で最も世界のサーフツアーについて詳しいツノダユキさんのあとがきからです。

彼の原動力は、「負けず嫌い」です。信じられないかもしれませんが、それが彼を突き動かしている原動力です。そのためならどんな手段でも行います。
ただし、その「負けず嫌い」は尋常ではありません。兄弟げんかから始まりますが、歳の差のある兄に挑み続けます。子どものころにサーフィンの大会にボディーボードで出場し、入賞を果たしています。サーフボードを買うお金がなかったために、ボディーボードで参加したのですが、サーフボードを使っていた年上の人たちを負かせたかったのでしょう。技術があるのが凄いですが。相手が上だろうが、どんなに不利な状況だろうが、相手に勝つことだけを考えていたのです。

いろんな逸話がありますが、来日した時に見知らぬ人と仲良くなり、そのままボーリングへ行ったそうですが、絶対に勝つことしか考えていなかったそうです。一般人相手の遊びですよ(笑)。ビリヤードでもゴルフでも、日常生活の中の些細な勝負事でも徹底的に勝ちに拘る「超負けず嫌い」なのです。

ケリーの偉業で、最多優勝などの数々の記録があると紹介しましたが、忘れていたことがあります。それは、3年間のセミリタイア期間があるということです。1992年から1998年の間に、93年を除く6度のワールドチャンピオンに輝いています。無敵すぎて敵がいなかったため、ツアーを離れた期間があるのです。しかし、その間にアンディ・アイアンというライバルが現れます。そのライバルの出現が彼をツアー復帰へ向かわせますが、復帰後の2002年、2003年、2004年とアンディがタイトルを獲得します。
セミリタイアでコンペティターの感覚が鈍っていたなどありますが、事実上アンディーに完敗してしまったのです。そのことがケリーの闘争心に火を付けたのです。そして第二次黄金期を築き上げていくことになるのです。
きっと、「世界で一番強いサーファーは俺のはず。だから負けるのはおかしい」と思っていたに違いありません。そこから徹底的にサーフィンを突き詰めていきます。誰も狙わないような波へのアプローチを試すなど、ありとあらゆることを試していたそうです。
時には、波の写真を一日中眺めて考えることもあったそうです。きっと、波の絵を見て徹底的に瞑想し、それを実際に試し試行錯誤を繰り返していたのでしょう。

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PIPE DREAMS

以下抜粋
この本の中には、コンペティターなら見逃せない勝利へのヒントがたくさん隠されている。逆に、ここまで考えないと、ここまで突き詰めないと、ここまで全精力をつぎ込まないと、ケリーのいる場所には立てないのだということがよく分かる。今シーズン、なぜ誰もケリーに勝てないのか、その答えは単純でシンプルだ。誰もケリーほど勝つための努力をしていないし、誰もケリーほど考えていないからなのだ。
…つのだゆき

外部から見ると努力しているように見えますが、ケリー本人は負けることをおかしいと感じていたので、当然の行動だったはずです。ゴール設定(セルフイメージ)が「世界一のサーファーは俺」だったはずだから当然の行動になっていたのです。

原動力は「負けず嫌い」ですが、ゴール設定(セルフイメージ)は、「世界一のサーファー」という高いゴールです。

この本はケリーが2003年、今から20年近く前に書いた本ですが、改めて目を通して面白かったのは、当時は50歳になったらシニアのプロゴルフのツアーを回っていたいと書いていたことです。
その理由は、「現役の20代前後のプロゴルファーが50歳までトップアスリートとして維持していられるはずなく、その点においてはサーファーから転向すれば異業種のゴルフであればモチベーションを維持できるからシニアでプロゴルファーとして回ることは可能だろう」と冗談交じりなのか本気なのか書かれていたからです。
ですが、実際はケリー自身が49歳でツアー勝利を飾り、50歳で世界最高峰のサーフィンツアーで現役を続行しているのです。オリンピックがあったこともモチベーションを保てた一因かもしれませんが、改めて興味深い話でした。

続きます⇒https://shinjisaito.blog.jp/archives/86085378.html

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故アンディー・アイアン 2010年11月6日32歳でこの世を去ってしまった。


前回はゴール設定についてでした。
ここからは、四名のそれぞれのゴール設定について考察します。言葉や文章にしているものや、インタビューなどの発言内容から抜粋します。



イチローさん

小学6年生の時の作文が有名です。「ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです」で始まる作文があります。小学六年生の時点でプロになることを掲げています。
それを絵に描いた餅ではなくゴールを達成させることを確信に変えられるほどに裏付けていたのは(W1として)、練習量と成功体験によるエフィカシーです。
「365日中360日の激しい練習」をしていることを書いています。そして、大会を通じて結果を残していたことから確信しています。
この作文は、ゴール設定だけでなく、ゴールビジョンやゴールから逆算した時間軸の流れなど、素晴らしいところばかりです。今回のテーマ外なので、触れませんが、それらも大きなゴール設定が先にあり、それが明確だからです。
「365日中360日の激しい練習」ができるのは、ゴール達成が当然だというレベルになっているからです。やりたい事かどうか、好きかどうかを超えてしまっているのです。
現状の外側の大きなゴールが設定できていることがわかります。

その後みなさんご存じのとおり、小学生の時の夢を実現させて日本のプロ野球で活躍後、メジャーへ挑戦していきます。周囲から「そんなの無理だ」と言ってくるドリームキラーが現れるたびに、「やってやろうっ」「ゾクゾクしてくる」と自身のエネルギーに変えるという発言もしていました。
ゴールを設定した時点で達成が可能だったわけではないのです。未来からの時間軸で考えるイチローさんにとっては、ゴールをどうやったら実現させられるかを考えていたのです。きっと、ゴール達成を考えるたびにワクワクしていたに違いありません。

ちなみに苫米地博士は父の宣之氏をゲストにコーチングセミナーを行ったことがあります。



今回はここまでです。サクッと4名の紹介をしようと思いましたが、思いのほか時間がかかってしまいました。

続きます⇒https://shinjisaito.blog.jp/archives/86082293.html

苫米地式コーチング認定コーチの齋藤です。

今回はゴール設定についてです。
以前から書きたかったのですが、なかなかタイミングが合わずに書いていませんでした。が、遂に書きます!レジェンドスーパースターのゴール設定と次世代スーパースターのゴール設定の違いについてです。アスリート必読です。

ですが、その前に。私のブログは文章中心で書いていますので、文字慣れしていない人にとっては読みづらいかもしれませんが、その分、伝えたい内容は濃くなっていますので、ぜひ慣れてくださいね。

もしも、結果を出したいという人であれば、今回のテーマはかなり価値がある内容です。きっと、ゴール設定についての理解が広まるはずで、読み終わる頃には新たな『ゴール』設定の芽が生まれていると思います。


まずは、四名の紹介をします。うち二名はプロサーファーです。ケリーとカノア君はサーファーにとってはとても有名な二人ですが、サーフィンしない人にとってはマイナーになってしまうので、イチローさんと、マイケル・フェルプス氏を出させていただきます。

※年齢、記録は2022年3月28日現在の数字です。


イチロー:1973年10月22日愛知県生まれ 48歳

日本プロ野球(以下:NPB)とメジャーリーグベースボール(以下:MLB)で通算28シーズンをプレーし、MLBシーズン最多安打記録保持者(262安打)、プロ野球における通算安打世界記録保持者(NPB / MLB通算4367安打でギネス世界記録に認定)、最多試合出場記録保持者(NPB / MLB通算3604試合出場)である。NPBで最多タイ記録となる首位打者を7回獲得し、パ・リーグ最多記録となる最多安打を5回獲得している。MLBでは10シーズン連続で200本安打を達成。アジア人史上初の首位打者と盗塁王のタイトルを獲得。
アジア人史上初のシーズンMVPやシルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞(10シーズン連続)も受賞している。またアジア人史上3人目(日本人史上3人目、アジア人打者史上初)の新人王も受賞した。これらの実績から、2025年の米国野球殿堂入りが確実視されている。
NPBでは首位打者7回、打点王1回、盗塁王1回、最高出塁率5回、最多安打5回などを獲得し、2000年オフに日本人初の野手としてMLBに移籍。MLBでは、首位打者2回、盗塁王1回を獲得した。2004年にはMLBのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新し、コミッショナー特別表彰を受けた。2016年にはMLB通算で3000本安打、500盗塁、さらにNPB/MLB通算でのプロ野球における通算最多安打数(ギネス世界記録)を樹立するなど活躍した。
Wikipediaより

みなさんご存知、プロ野球選手のイチローさんです。こうしてみると、改めて記録尽くめですね。日本人がまだメジャーリーグで活躍していない時代に、道を切り開いた開拓者のひとりです。言わずもがなですね。


ケリー・スレーター:1972年2月11日生まれ 49歳

1990年にデビューして以来、11度のワールドタイトル(その中に20歳の最年少記録と39歳の最年長記録も含まれる)と55回のCT優勝を決め、その他にも数々の記録を持っている。そして、30年経った今でも現役の選手として活躍しているのだ。「Greatest Of All Time」を頭文字を取った『G.O.A.T』の称号を与えられたのはサーフィン界でケリー以外いないし、これからも出る可能性は極めて低いだろう。
数字で見る『G.O.A.T』
数々の記録を持つ『G.O.A.T』だが、最も誇れるのは11度のワールドタイトルだろう。
これは55回のCT優勝を含め、ギネス世界記録にも登録されているそうだ。
また、55回のCT優勝には11カ国6大陸での優勝が含まれる。最も多く勝利をおさめた国はオーストラリアで13回。その内、ゴールドコーストで6回、ベルズで4回。共に最多優勝記録だ。

他のスポーツアイコンと比較すると彼の偉業が更に際立った。タイガー・ウッズはPGAプレーヤー・オブ・ザ・イヤーを10回受賞。ウェイン・グレツキーはNHLのハートトロフィーを9回獲得、モハメド・アリはボクシングのヘビー級チャンピオンを9年間も防衛した。最近ではNFLのトム・ブレイディが7度目のスーパーボウル優勝を果たした。
『G.O.A.T』とメディア
古くからのファンならご存知の通り、アメリカの人気ドラマ「ベイウォッチ」にジミー・スレイドとしてレギュラー出演。共演した某有名女優との恋の噂も大きな話題になり、その知名度はサーフィン界だけではなく、全米、そして世界中に浸透した。
雑誌関係ではピープル誌の「50 Most Beautiful People」に選ばれたり、GQ誌の「25 Coolest Athletes」にランクイン。
ロブ・マチャド、ピーターキングと「THE SURFERS」というバンドを結成していたほどの音楽好きでもあり、親友のジャック・ジョンソン、パールジャムのエディ・ヴェダーなどとも共演している。(ジャック・ジョンソンと共演するなどステージ経験も多数)
THE SURF NEWS 2021/02/13より

サーファーであれば言わずもがななケリー・スレーター。2022年2月5日に行われた『Billabong Pro Pipeline』で優勝。ツアー優勝56勝、パイプラインでは8度目の優勝。今なお記録を更新し続けています。


マイケル・フェルプス:1985年6月30日生まれ 36歳

2020年時点、400m個人メドレーの世界記録保持者であり、“水の超人”イアン・ソープ(オーストラリア)に代わり、世界の頂点に昇りつめた「水の怪物」。自由形でも世界トップレベルの実力を誇り、一大会で複数の種目を制する体力を活かして、オリンピックメダル獲得数史上1位の記録も打ち立てた。主種目としたバタフライをはじめ、さまざまな種目で頭角を現したことから史上最強のスイマーとの呼び声も高い。
リオデジャネイロ五輪競泳競技終了時点でオリンピックメダルの通算獲得数28個、金メダルの通算獲得数23個となり歴代1位の記録となっている。また、オリンピック1大会でのメダル獲得数8個(アテネ五輪・北京五輪でそれぞれ8個)というのも歴代1位タイ記録である。しかも北京五輪で獲得した8個のメダルは全て金メダルであり、オリンピック1大会で8個の金メダル獲得というのは史上初の記録となった(うち7つは世界新記録)。
世界選手権では通算33個のメダルを獲得している。うち、26個が金メダルである。
大会成績以外の受賞歴は、2003年、2004年、2006年、2007年、2008年、2009年、2012年度の世界競泳選手オブザイヤー(Swimming World Swimmers of the Year)、2001年、2002年、2003年、2004年、2006年、2007年、2008年、2009年、2012年度のアメリカ競泳選手オブザイヤー(American Swimmer of the Year)など。
Wikipediaより

世界最多オリンピックメダル獲得数のマイケルフェルプス。メダル獲得数を見ると、その強さが際立っていますね。我らがマークシューベルト氏からコーチングの指導を受けています。



カノア五十嵐:1997年10月1日アメリカ合衆国・カリフォルニア州生まれ 25歳

日本語、英語、ポルトガル語など5カ国語が堪能。3歳の頃、父親の影響でサーフィンを始め、6歳でローカルコンテスト「Kids For Clean Waves」で優勝し、当時のアマチュアUSAコーチ(ジョイ・ブラン氏)に見出され、最年少9歳でUSAチームに入る。2015年アメリカのジュニアツアーで年間1位、クオリファイリングシリーズで年間7位の成績を収め、日本人として初めて、2016年のチャンピオンシップツアー参戦資格を獲得。2016年のチャンピオンシップツアーでは最終戦のビラボンパイプマスターズで準優勝、年間20位。2019年のチャンピオンシップツアー第3戦「Corona Bali Protected」で自身初となる優勝。
「GQ MEN OF THE YEAR」に2019年、2021年の2度選出。2020年の「フォーブスが選ぶ30歳未満の30人」(日本版)の一人に選出。
2021年に開催された東京オリンピックの男子 サーフィンで銀メダルを獲得した。
Wikipediaより

日本人として初のWCT(世界最高峰のプロサーフィンツアー。自動車レースで言うところのF1)入りを果たしたカノア君。2022年3月、3戦を終えて暫定一位。東京オリンピックでは銀メダルを獲得。世界のサーフシーンを牽引する次世代サーファー。



4名ともさすがに記録が凄いですね。前人未到とか、開拓者というのが相応しい偉業です。

まずは4名の紹介でした。
続きます⇒https://shinjisaito.blog.jp/archives/86079262.html

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