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【人生を"ゴール"へ自操させるコーチング】

苫米地式コーチング認定コーチ齋藤慎治のコーチングブログです。コーチングに関することからコーチな日々を綴っています。

2016年06月

苫米地式コーチング認定コーチの齋藤愼治です。


ゴール設定とは、少なからず外部の影響を受けるものです。
小さいころに見たスポーツ中継に影響を受ける人もいるでしょうし、読んだ本から影響を受ける人もいるでしょう。
身近な人の職業に憧れたりもあります。
自分自身の境遇を助けてもらい、そこから困った人を助けることをゴールにする人もいます。
いろいろなことが影響し合い、感動したりして、ゴールとなっていきます。
そこには様々な価値が人の数だけあるのです。
価値は一つではありません。


しかし、何か1つに絶対的な価値があると思わされているとしたら、それは他者からの洗脳です。
人は他人が決めた価値観や物差しでは判断できません。

自分が決めたゴールを達成するからこそやりがいも達成感もあるのです。
価値はそれぞれあるのが当然で、ゴールの内容へはコーチですら介入しません。

本当にやりたいゴールなのかを吟味し、他人から刷り込まれた価値観で判断していないかを見極める必要があります。
他者からの刷り込みでない価値でゴールを設定できたとき、真の遣り甲斐を見出すことができるのです。


▼苫米地英人博士が初めて語る『脱洗脳教育論』
21世紀の日本が今後数十年から数百年後の未来を見据えた時、個人の幸福度は個人の価値を尊重することで決まってきます。
国家という大きな枠組みとしての教育と個人を尊重する未来の教育について苫米地博士が貴重な内容を語られています。
教育関係者でなくても、私たちは義務教育を受けていますので他人事ではない内容です。
是非ご視聴ください。
▼苫米地英人博士が初めて語る『脱洗脳教育論』特別動画を無料で公開
http://maxpec.net/160623/
※期間限定の動画となっているようですので、お早めにご視聴ください。
aoyama
画像:青山龍マスターコーチオフィシャルブログより






苫米地博士が『脱洗脳教育論』動画を公開しました。
動画を見て、抽象度の高い視点からのお話でスコトーマが外れました。


小学校中学校は義務教育です。
しかし、義務教育とは子どもに教育の義務があるわけではありません。
子どもには教育を受ける権利があるのです。
義務があるのは親や国家であり、子どもに教育を受けさせる義務があるのです。
ですが、いつのまにか子どもに教育の義務があるかのようにすり替わり、行きたくなくても行かねばならぬになってしまっているのです。
まず、この大前提が崩れています。

そして、先輩や先生が絶対の存在として教え込まれるのは道教や儒教をベースとした洗脳教育です。
歳上は、敬うべき存在ではありますが、必ずしも絶対の存在ではありません。
ですが、いつのまにか軍の上官のような存在になり、上の人が言うことには逆らわずに絶対の存在であるかのように洗脳されているのです。


まずは、下記から進み動画をご覧ください。
教育関係者ではなくても私たちは義務教育を受けていますので、それぞれ感じることがあるでしょう。
教育現場を俯瞰することができ、スコトーマが外れます。


▼苫米地博士ブログ
http://www.tomabechi.jp/archives/51527074.html

▼青山龍マスターコーチブログ
http://blog.livedoor.jp/r_aoyama/archives/47895760.html




苫米地式コーチング認定コーチの齋藤愼治です。


「靴」をテーマにブログを書いています。
先月、恐らく10年ぶりぐらいに白いスニーカーを購入しました。
店頭で見かけて気になったのですがその日は購入せず、家に帰るとやはりほしくなったため再度足を運び購入することにしました。

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帰宅してから紐を通して見ていると、左右の色が違うことに気づいたのです。
つま先のスエードの部分が色焼けしていて、明らかに変色していたのです。

すぐに理由はわかりました。
それは、私が購入したサイズの物は最後の一足で、しかも展示品だったのです。
展示のため片方だけ出ていたので色焼けしてしまったのでしょう。

試し履きの時点で両方履いたにもかかわらず、そのときには気づきませんでした。


どうしようか悩みました。
返品しに行くのも面倒だし、在庫がないので交換もできません。
しかも既に気に入ってしまっていました。

そこで考えました。
「そもそも、この違いに気づく人がいるのか?」
RASとスコトーマの関係です。
私たちは重要性が高まっていなければ認識することはないのです。
私自身が試し履きの時点で気づかなかった色の違いを他の人が気付くわけがありません。
もし気付くとしたら過去に同じような失敗をした人くらいでしょう。

色焼けを落す方法などもあるようですが、左右が同じになる保証がないのでやめました。
それよりも履いているうちにもう片方も色焼けして同じ色に近づくのではないかと考えました。
そして、“この靴”を交換せずに履くことに決めたのです。


結果は想像の通りです。
誰も気付きません。
未だに明らかに色が違いますが、気にしているのは私だけです。
10年ぶりくらいに履いてる白いスニーカーですら誰も気にしていません。

「左右の色違いの白いスニーカー」から人それぞれ見える世界は異なるし、私たちはスコトーマだらけだということが改めてわかりました。
自分にとって重要でも他人にとっては重要でなければ認識されないのです。

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先日アップしたJAPAN MLD村井先生と打ち合わせ時の写真ですが、当然のように左右のつま先の色違いまで気にする人はいません。
はじめに目に飛び込んだものの重要度が高いのです。
なぜだか考え、RASを意識するのも面白いと思います。


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齋藤愼治
苫米地式コーチング 苫米地英人 認定コーチ
JAPAN MLDメンズセラピスト兼メンタル講師

~自分軸の人生をかっこよく自操する~
           マジックカーペット
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